レモン図鑑#6  ヒマラヤ出身の救世主

レモン図鑑#6 ヒマラヤ出身の救世主

レモンの原産地と言われているのは、インド東部のヒマラヤ山脈。雪のイメージが強いためか少し意外な気がしますが、麓はレモン栽培に適した熱帯・亜熱帯地域だと知ると納得です。長い歴史の中で、どんなルートを辿って世界中に分布していったのでしょうか。

中東、そしてヨーロッパへ

ヒマラヤ山脈の麓に起源を持つと言われるレモンは、まず現在のイランやイラクなどがある中東に広がります。そして、一説によると、現在のサウジアラビアがあるアラビア半島に居住していたアラブ人によって、スペインに伝えられたと言われています。やがて、レモンの産地として有名なイタリア・シチリア島をはじめとする地中海周辺へ、さらに、オランダ、フランス、イギリスなど広くヨーロッパ中に伝播していきます。
“医食同源”の考えに基づき料理として口にしていた中東とは異なり、古代ヨーロッパでは、レモンは主に観賞用の植物だったと言われています。静物画の題材として使われたり、富裕層が建設した柑橘類栽培用の温室「オランジュリー」の主要な樹木として植えられたりと、富の象徴の一つとして扱われた側面もあったようです。
そして1493年には、第2回目の航海に出たコロンブスとともに、レモンはアメリカへ渡ったと言われています。日本にレモンが伝わり栽培がはじまったのは1800年代以降のこと。日本にやってくるまでに、数百年に渡る長い旅をしていたことがわかります。

レモンに救われた命

ヨーロッパ諸国でレモンを食用として扱うようになったきっかけに、十字軍が中東から調理法を持ち帰ったというエピソードがありますが、レモンと歴史が大きく繋がった逸話がもう一つ。
時は15世紀半ばからの大航海時代。数ヶ月に及ぶ長い航海にでる乗組員たちは、生の果物や野菜を食べられない期間が続いていました。そうした状況下では、ビタミンCが不足することによって手足の痛みや歯肉の腫れなどが引き起こされ、最悪の場合、死に至ることもある「壊血病」が大きな問題となっていました。20年ほどの間に、何万人もの死者を出したとも言われています。
その蔓延を食い止めたのがレモン。イギリス海軍に勤めていたジェームズ・リンド医師が、臨床実験により壊血病に対するレモンの効果を発見しました。話を聞いた船長が乗組員たちにレモンなどの柑橘類を定期的に摂取させ、やがて、航海に出る船にレモンジュースを積み込むことが義務化されると、壊血病で命を落とす人は激減したそう。イギリス海軍の力が保たれたことは、その後、攻め入ってきたナポレオンを撃退した海戦に大きな影響を与えたに違いありません。

(参照:「旬」がまるごと 5月号 特集レモン 12/2009年5月20日発行、Webナショジオ The Future of Food フード・トピックス ナポレオンも撃退した!レモンの博物誌)

Member:國廣
Illustration/白木春菜

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