ProjectStory#5 レモンの島を想う結束

ProjectStory#5 レモンの島を想う結束

とびしま柑橘倶楽部の物語

レモンをテーマに立川を盛り上げるチャレンジをはじめた、立川市商店街振興組合連合会。プロジェクトが動き始めるきっかけとなったのは、国産レモン発祥の地と言われる広島県呉市とびしま海道のレモン農家の方々との出会いでした。(それまでの経緯はこちら)今回は、立川レモンプロジェクトのパートナーである「とびしま柑橘倶楽部」についてご紹介します。

(写真左から)とびしま柑橘倶楽部の中元さん、末岡さんとお孫さん、秦さん

一般社団法人とびしま柑橘倶楽部の成り立ちは、とびしま海道が7つの橋で繋がった2008年まで遡ります。当時からお菓子とパンのお店「アラビアンナイト」を経営していた秦利宏さんの元に、とあるレモン農家の方が訪れてきたことがはじまりです。

『ある日、お店の駐車場に軽トラックが停まって、農作業服姿の農家さんが降りてきたんです。“これ、売れんやつじゃけんお金いらんけん”と言いながら、“うまいもんができたら食べさせてや”とレモンをひと籠20kg置いていかれたんです。それじゃあ物々交換にしようと、作ったケーキやジャムを半分お渡しして、それぞれで販売をはじめてみたんです』と秦さん。

そうしている内に、収穫した柑橘を持ってくる農家は1軒2軒と増え、3年後には100kgを超える柑橘が集まるようになっていったといいます。そして、秦さんの元に集まってくるのは柑橘だけではありませんでした。

『農家と島が抱える悩みや問題も、柑橘と一緒に集まってきました。農家の収入、栽培や収穫、高齢化と後継… そういったものを聞いて考えているうちに、うちだけでお菓子を作るんじゃなくて皆で地域を盛り上げることをしようと、農家と地域事業者の問題や課題を提起したメンバーを中心に、2012年にとびしま柑橘倶楽部を立ち上げたんです』

柑橘栽培100年以上の歴史を持つ大崎下島には、約2000人が暮らしている
手作業で収穫され、丁寧に選別される

とびしまから全国へ

とびしま柑橘倶楽部では、これまで1kg数十円という低単価で売りに出していた規格外品を、菓子製造業者などに正規品よりは安い価格設定で直接販売すること、また、6次産業化をチームで行うことによって、農家の平均収入を上げ、事業継承者が生まれるシステムを作ることを第一の目的としています。

2013年には、「とびしま柑橘工房株式会社」を設立し、「とびしま柑橘工房.café」をオープンしました。カフェがあるのは呉市の東に位置する海岸沿い、とびしま海道へと橋を渡る直前の川尻町。畑までは遠いところでも車で1時間という場所です。レモンを使ったオリジナルメニューや商品をその場で提供するだけでなく、とびしま産であることを保証する“とびしまマーク”をつけたオリジナル商品を全国へと販売。さらに、新商品開発を行うラボ、とびしまの観光案内所の機能も持っており、とびしま柑橘倶楽部の拠点と言える場所になっています。

とびしま柑橘工房の看板商品、米粉を使ったメレンゲにレモン果汁を加えた「れもんげ」

従来、農家はレモンやミカンを栽培し、菓子店は商品開発や販売をするというように、それぞれバラバラに存在していた役割が、柑橘というテーマによって人々が団結したことによって、設立のきっかけでもあった商品開発に留まらない動きが生まれています。 商品開発・剥皮・搾汁・加工・販売まで一貫して行うとびしま柑橘倶楽部は、とびしま海道で柑橘を栽培する農家全体の窓口の機能を果たしています。また、メディア露出やイベント出店、さらには全国への視察など、それまで個々の農家がほとんどしていなかったことを積極的に行なうことにより、とびしま海道、ひいては広島のレモンを全国へと広めていく役割を担っています。

月に1回程度、農家の方々を中心にミーティングを行いながら、柑橘の栽培や商品の開発など、それぞれの知恵を持ち寄り、1人ではできないことを形にしていくプラットフォームとなっています。

果実とレモンを組み合わせたオリジナルジャム

「黄金の島再生プロジェクト」

全国へと販路を広げるとびしま柑橘倶楽部ですが、実は同時に販売するためのレモンの生産量を保ち、増やしていくことが大きな課題となっています。国産レモンの生産量で全国1位を誇る広島県内で、その約50%を出荷する一大産地はとびしま海道にある大崎下島。今のところ右肩上がりに需要と生産量を伸ばしている一方で、柑橘農家の平均年齢は75歳を超え、畑の面積は最盛期の3分の1程度まで減少していると言われています。

そんな状況を憂い、島の未来について考えるとびしま柑橘倶楽部は、2017年、“島中がレモン色に輝く日よ再び。広島に眠る耕作放棄地を再生へ!”と題し、目標金額300万円のクラウドファンディングに挑みました。97人の支援者が集まり、結果は見事成立。支援金を得て、使われなくなった畑を蘇らせ、後継者を見つけるというミッションに取り組んでいます。

実ったレモンに顔をほころばせながら収穫に勤しむ農家の末岡さん

クラウドファンディングを実施するにあたっては、広島県内の学生団体「STYLE」が参加を表明し、若い力が大きな支えとなっています。耕作放棄された畑には、背丈をゆうに超える雑草が生い茂ります。時には重機も使いながら手を入れ、再び苗木を植えられる状態まで再生させていく作業はとても骨の折れるもの。“島の宝である、柑橘やレモンを大切に繋げていきたい”という想いに共感し集まった学生たちと一体となって、今も整備が進められています。

整備を経て、ようやく苗木を植えられる状態になりますが、レモンの木は、収穫できるほどたくさんの実をつけるようになるまでに5〜10年ほどの年月を要します。今75歳の農家の方は、10年後は85歳。多くの方が畑から離れるタイミングになります。だからこそ、経験豊かな農家の方々が現役で畑にいる今、畑を再生させ、そのノウハウを後継者たちがしっかり受け継いでいく必要があるのです。

放っておけば誰かが耕作放棄地を整え、待っていれば後継者に名乗りを上げる人が集まってくるものではありません。立川でのプロジェクトも、今の状況をさらにもう一歩前へと動かしていくための方法のひとつ。国内随一のマーケットであり人と情報の集まる東京に、とびしま海道のレモンを発信していくことで、きっと新たな道が拓けるはずです。 島の宝であるレモンを守りたい、島に暮らす人々の生活や訪れる人の楽しさをもっと良いものにしていきたい。とびしま柑橘倶楽部のプロジェクトからは、そんな想いを持つ人が集まり、同じ目標に向かって進んでいくパワーの強さと明るさを感じます。

内容は違えども、立川レモンプロジェクトも同じ。立川市商店街振興組合連合会やBAAALLのプロジェクトメンバーは、レモンをきっかけに立川が一つになり盛り上がっていく未来を描いています。そんな2つのプロジェクトが交わり、時に共に走るレモンプロジェクトは、お互いの期待と願いに満ちているのです。

レモンを扱う飲食店の経営者など、県内外から何組もの団体が植樹に訪れる
レモン畑から臨む島の家並みと瀬戸内海


Writing/國廣愛佳
Photo/寺島由里佳

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