最も憧れたのは、壇上の姿~JCI立川イベントレポート~

最も憧れたのは、壇上の姿~JCI立川イベントレポート~

けやき出版でインターンをしている杉井と申します。

私はこの春、大学3年生の夏頃から2年弱お世話になったけやき出版を退職いたします。

まもなく大学を卒業する私は、都内の別の企業への就職が決まっています。「やってやるぞ!」と、溢れるやる気と同じくらいに、不安もいっぱい……。

そんなタイミングで、私の大学時代一番の恩師であるけやき出版の社長・小崎が、講演会に登壇すると知りました。

小崎社長が登壇したのは、公益社団法人立川青年会議所(JCI立川)の第1,002回例会「『地域と仕事とわたし』~今から始める新しいチャレンジ~」。

これまでのキャリアや仕事観に関する話もあるとのことだったので、「講演を聞いて就職の心構えをしよう!」と決意。

当日の内容の一部を、私の独り言も挟みつつ、ご紹介していきます。

まず、杉井って誰?

本題の前に、簡単に自己紹介をさせていただきます。

私は中央大学商学部に通う大学4年生、杉井 龍一と言います。小崎社長とは大学のゼミ活動の時に知り合い、3年の夏頃からインターンとして働かせていただきました。

大学4年生、と書きましたが、この原稿に時間がかかってしまい、書いているうちに卒業式も終わってしまいました。公開時には就職しているかもしれません。

卒業式の最中、原稿のことが頭をよぎりました

けやき出版での主な業務は、ライティングです。以前、PR系の会社でインターンをしていたことから、記事を書く経験は少しだけありました。本サイトBALL. WEB MAGAZINEでも、社員の働き方を発信するけやきストーリーズという連載を書いていました。

また、就職活動を終えて4年生になった頃からは、撮影のお仕事も。もともとはカメラを持ってすらいなかったのですが……。

けやき出版で働く白木さん(デザイナー/フォトグラファー)や一緒にお仕事をするフォトグラファーの方々の仕事を見ているうち、憧れを抱き、カメラを購入。以来、没頭しつつ、散財しました。

目標のためには、過度にリスクを恐れない

講演の内容は、主に以下の3点。

①経営の多角化、情報誌『BALL.』のターゲティング
②地域との関わり方
③一従業員から社長になった経緯と、仕事を頑張る理由

私は今回、主に③の内容について興味を持って話を聞きに行きました。

小崎 「私がけやき出版に入社して10年が経った頃、当時3代目の社長は、健康上の理由で退任を考えていました。

後継者を選任するにあたり、第一の候補だった社長の息子さんは、大手の商社で働いていたため、引き継ぎを辞退。社長に近い立場だった社員たちは、高齢だったことを理由に辞退。それより若い人となると、私のような30代の社員になってしまいます。

後継者はなかなか決まりませんでした。でも、地域の有志の方々が『多摩に出版の灯を』と強い想いで出資し合いつくったけやき出版を潰してしまうわけにはいかない。その想いはみんなが持っていました。

そこで私が、4代目の社長としてけやき出版を引き継ぐことになったんです。

でも経営のことなんて全く分からなかったし、けやき出版の看板的存在だった『たまら・び』も、スポンサーの多摩信用金庫さまの会員限定会報誌になり、一般に流通しないものに。

私はビジネス書を読み漁ったり、出版以外の事業も模索したり、経営を安定させるために必死でした」

就任時の出来事は、これまでにも何度か聞く機会がありました。しかし何度聞いても、社長に就任して7年目となる現在の姿からは想像ができません。

「もし自分が当時の小崎社長の立場だったら、どのような行動をとっていただろう」。そんなことを考えながら聞いていました。

私はもともと仕事が好きな性格ですが、社長になろうと思ったことはありません。理由はシンプルで、自信がないし、リスクを取るのが怖いからです。

「自分の会社が倒産しちゃったらどうしよう……」

このような想い自体は今も変わらず、情けない限り……。ですがけやき出版に入って以来、少し考えに変化がありました。

小崎社長が就任する前は、出版事業のみだったけやき出版。小崎社長自身、それまでのキャリアで事業を立ち上げた経験はありません。

しかしBALL. COMPANYなど、新しい事業に積極的に取り組みます。けやき出版にいた約2年、それらを当然のように実行していく小崎社長を身近で見続けた結果、私自身が新しいことに取り組む時も「やったことないから」と萎縮する気持ちが薄れるようになりました。

一般論として、大きな目標を実現するためには、リスクを取らなければなりません。これは仕事に限らず、大抵のことに当てはまることだと思います。

理屈では分かっていても、リスクを取るのは難しいことです。

でも小崎社長と一緒にいると、少しだけ勇敢な自分になれました。

「楽しむ才能」と「反骨精神」

小崎 「私が経営者としてやっていけている理由は、1つあるとすれば『仕事を楽しむ才能』があったおかげかなと思います。自分が取り組んでいることに対して、あまり抵抗なく楽しいと思えるんです。何年続けても決算書の数字だけは、楽しくないですが(笑)。

ただもちろん、苦しい時もあります。社長になった当初は、社員との関係性もなかなかうまくいきませんでした。事業で思うように良い数字が出ないこともあります。

でもそんな状況を乗り越えてこれたのは、反骨精神があったからです。これは私の家庭環境が大きく影響しています。

私は畳屋の娘として生まれました。小さい頃から読書が大好きで、将来は出版社に入りたいと思っていました。

高校生になった私は、夢をかなえるため、父に大学へ進学したいと伝えました。しかし古い価値観を持っていた父からは『女に学歴はいらない』と、反対されてしまったんです。

なんとか頼み込んで短期大学に進学させてもらえましたが、弟は4年制の大学へ行きました。『女に生まれたからって、どうして好きなものを目指せないんだ』という想いを抱きました。

就職活動は、就職氷河期と被りました。大手の出版社は、短大卒では書類選考も通りません。東京中にある出版社に、私が出版社で働きたい想いを作文にして送りました。ありがたいことに1社、作文に興味を持ち連絡をいただき、私の出版社でのキャリアがスタートしました」

「仕事を楽しむ才能」と「反骨精神」。これは今後の私の人生における、大切なキーワードです。

私自身も仕事を楽しめる性格ですが、それだけでは継続力や仕事の成果を出すには不十分だと思います。

楽しめない仕事やタイミング、楽しみにくい環境は必ずあります。楽しもうとする姿勢・工夫で乗り越えられることにも限界がある、というのが私の考えです。

そんな場面で力になるのが反骨精神だと思います。反骨精神は、私の今後の人生で苦難を乗り越える重要な鍵だと、講演の中で強く感じました。

2年間は「学び」だけじゃない

講演を聴くうち、就職への不安は軽くなっていきました。

そうして私は、晴れ晴れとした気持ちでけやき出版を卒業します。

「そんな美味い話があるか!『反骨精神が大事』って、実際に持ってなきゃ仕方ないだろ!」

そのように思われた方もいらっしゃるかもしれません。

ただありがたいことに、小崎社長は私に反骨精神まで分け与えてくれていました(というと、パワハラのように聞こえますが……)。

私はもともと反骨精神の弱いタイプで、「仕方ない、切り替えよう!」と割り切れる、簡単に言えば諦めの良い性格です。

そんな私に反骨精神が生まれた理由は、憧れでした。

「小崎社長かっこいい!自分も近づきたい!」

言葉にするとありきたりですが、この想いが私を変えてくれました。

うまくいかない時、「これじゃ近づけない」「どうしてこんなこともできないんだ!」という感情が湧くようになったんです。

終わりに

小崎社長へ、これまでの感謝を伝えさせてください。

コロナ禍で大学にも行けない2年弱、けやき出版で多くの経験や思い出をつくれました。

たくさんの学びや、他では得られない大切なものを与えていただきました。

これからもずっと、小崎社長の背中を追いかけ続けます。

最後にちょっと、生意気ですが。

私の憧れの存在として、これからもずっと、手の届かないところへ進み続けてください。

ありがとうございました。

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