あきねぇのブランディング相談室 #6 サラリーマンから地元で愛される和食店の5代目に。うなぎ「魚元」

あきねぇのブランディング相談室 #6 サラリーマンから地元で愛される和食店の5代目に。うなぎ「魚元」

リブランディング・コンサルタントである“あきねぇ”こと藤田昭江。
BALL.で『ブランディング相談室』連載中の“あきねぇ”ならではの視点で見る、あのお店のリブランディングPOINT!

府中市で150年の暖簾をつなぐ、うなぎ「魚元(うおもと)」堀江さん

府中市でうなぎ屋を営む堀江さんとは、むさし府中商工会議所の「経営者はデザイナー」の講座で出会った。
なんと、私が講師で堀江さんが受講生…!


私を含めて3名の講師。「ブランディングコンサルタントだから“仕事のデザイン“という意味でもデザイナーでしょ!?」ということで「デザイナー講師チーム」の1人として、前に立たせてもらった。

(堀江さんに初めてお会いした時は〈貫禄のある経営者さんだな…お手柔らかにお願いしたい‥汗〉と、内心思っていたのはここだけの話です笑)

2年前までサラリーマンだった!?

堀江さんが魚元(うおもと)を継ぐことになったのは約9年前。先代の叔母の急逝がきっかけでお店を継ぎ、7年間はサラリーマンをやりながらお店も見ていた。

「魚元」の創業は江戸末期から明治初頭。

はじめは甲州街道神戸地区にあり、昭和13年頃に火災で焼失。その後、昭和16年に府中駅北口に再建。府中駅北口再開発の流れを受けて、現在地に再移転した。

基本は娘が家業当主を継ぎ、初代当主は高祖母にあたる。
堀江さんの代に女性が皆無だったことで、堀江さんにお鉢が廻ってきた。

先代女将は自分の代で店を畳むつもりだったそう。
臨終間際に「どうするかは好きに決めろ」と言われただけだった。

当時堀江さんは盛岡に単身赴任しており、150年続いてきた暖簾を自分の代で即辞めた、というのもどうかと思い、
「まずは、やってみよう。辞めた、はやってみてから」
ということで、現在に至る。

飲食の経験は全くなかった。
作れるものと言ったら、○の素の餃子と、○ちゃんの焼きそばだけ笑

接客もできないし…
「こんなオヤジが給仕したら美味しくないでしょ?」と、堀江さん。

「そんな事ないですよ〜!」の言葉は、なんとなく心にしまっておいた笑

継いで、見えてきたもの

地場のお店っていうのは経営者の顔が見えないとダメだとわかった。
伝統や地縁をベースに成り立ってきた店は、主人の顔がわからないと存立の土台が崩れ、そのままでは成り立たない。

先代女将のかねさんは地元では「魚元のおかみさん」として有名人だった。地元のお客さんからすると、かねさんが亡くなって、魚元はどうなったのかな?もうやめちゃったのかな?といった状態。

「自然に足が遠のきますよね…」と、堀江さん。

 

学生時代からサラリーマン時代まで府中には寝に帰るだけだった。
府中の居酒屋には30年以上1度も行っていなかった。
まずはそこに顔を出すことからのスタート。

スタート時は従業員の給料が自分の通帳から出ていくこともあった。

それでも今は「儲ってはいないけど持ち出しはなくなった」
というから、コツコツとした努力の成果が出たのだと感じる。

自分にしかできないことをやる

もともと通ってくれていたお客さんに戻ってきてもらうために顔出しをすることや、営業や資金繰り、HP更新も。
サラリーマン時代に培ったスキルを活かした。

魚元の強みともいえるのは、3世代での来店が多いお店であること。
おじいちゃんおばあちゃんが孫に、子どもが親を接待、そういうニーズにマッチする。

そこにアプローチをするためにはこのコロナ時代は特に「安心・安全」も大切。
補助金でパーテーションを設置したり、テーブルを1つ取っ払って、席数を減らしてでも安心安全を提供しようと動いた。トイレや入り口が少し狭いのでそこも改装したい。杖や車椅子を使うお客様にも安全に。

忙しく飛び回る営業マンを経験している堀江さんが、そのアクティブさをここでも発揮!

お店の廊下が、家族の憩いの花道に

時々、お客さんのお子さんがお手紙をくれることがある。

うなぎを初めて食べて感動した!と。お絵かきの可愛らしい手紙も。

新しい服を買ってもらったと、魚元の廊下でファッションショーをしたがったり。
そんな光景は「なかなか良いものです」と目尻を下げる堀江さん。

私も、その場にいる人たちの笑顔が見えるようだった。

150年続いているということは府中のたくさんの人に支えられている。
堀江さんは、地域への恩返しを常に考えている。

現在はマンションの一階にある魚元。長い歴史の中で言うと、今はこぢんまりしている。

しかしマンションの一階にあるとは思えない、静かでのんびりした時間が流れていた。

50年くらい前には、今のようなお店に加え料亭、競馬場のお店、割烹旅館、洋食レストラン、社員食堂…
多角化した時代もあった。

ヒヨドリが羽を休め、喉を潤しにやってくるお庭まである。

肩書きのない名刺が物語る

サラリーマンの頃は肩書きで見られてきたが、世間に対する肩書きは不要だと思った。
地域社会だと、自分がオーナーだとみんながわかっているし、「社長」「代表取締役」とか、有っても無くても同じこと。

それよりも大切なのは今の与えられた環境を「本当に貴重な経験だと思っている」ことだと。

どんなことも機会があるならはい、とイエス、と喜んでうけるしかない。
(ってそれ、全部『イエス』じゃないですか!!笑)

もちろんノーという時もあるがそれ以外は、やってみないとわからない。
ダメならそれでその時、という潔さがある。

「太く長くいけたら理想だけど、なかなかそうはいかないね。細く長くやっていくしか…数年後どうなるか分からないけど、アフターコロナの世の中でも生き延びられるよう努力は続けますよ!」

と堀江さんは語る。  

魚元堀江さんのリブランディングポイント!

①ダメもと
流れで得た機会に、どこまでできるかやってみようという気持ち。

②新鮮さ、面白さ
長年のサラリーマンとは違った、新しい世界への興味、新しい発見。

③ありがとう
先祖代々や地域があって今に繋がっていることへの感謝の証として社業継続と発展を役目と認識。

DATA

魚元

火~日、祝日、祝前日11:30~14:30 (料理L.O. 13:45)17:00~21:00 (料理L.O. 20:00)/定休日 月曜(祝日の場合は営業、翌火曜日休み)/府中市府中町2-14-14/京王線府中駅北口より徒歩約5分/042-362-2029/
https://uomoto.tokyo/


藤田昭江(ふじた あきえ)

『アナタノ名刺、ダイジョウブ?』と書かれた名刺を配り、愛のある鞭で斬っていくスタイルでインパクトを残すリブランディングコンサルタント。2代目社長研究家の肩書も持ち『2代目が元気になると日本が元気になる!』を掲げ≪ 2代目スナック≫も定期開催中。
http://dou.annibirthcolor.com/

 

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