生まれてこのかた、東京都府中市で暮らしている。飲んだり読んだりしながら歩いた、多摩エリアの風景を書き綴っていくエッセイ。
ケルアックのオン・ザ・ロードを読みながら、路上に思いを馳せていた、5月上旬。お日様を浴びに、久しぶりに外へ出た。多摩川沿いを目指して歩く。
昼には陽の光を反射した水面がきらきらと輝いて、夜には電車の窓から漏れる蛍光灯の明かりがぴかぴか光る。
東京都立川市と神奈川県川崎市を結ぶJR南武線は、多摩川に沿うようにして走っていて、東京都府中市是政のあたりで多摩川を横切ってゆく。
川を横切る電車が好きだ。そこにはいくつもの生活があるように思う。一つ一つの生活を掬いあげたなら、そこでは名前を持つ固有の命の律動に紐づけられた喜びや悲しみが、異なる律動との調和と衝突に影響されながら、轟音を上げて渦を巻いていることだろう。しかしこの光景において生活たちは、それぞれ干渉することも、価値を引き比べることもないままに、静かに交わり流れてゆく。
内に叫びを秘めた静かさは美しい。昼には陽の光を反射した水面がきらきらと輝いて、夜には電車の窓から漏れる蛍光灯の明かりがぴかぴか光る。私という渦巻きもまた、これらのきらめきの一部となれるのだ。それは意外な嬉しさである。
この光景が好きなために、普段は川沿いに向かっても場所を移動せずに、ただ川と電車をじっと眺めるだけのことが多い。しかしその日の私は、iPhone内のヘルスケアアプリがカウントしてくれる一日の合計歩数が100歩を下回る日が続いていており、歩行意欲を大いに持て余していた。そこで川沿いの道をえんえんと歩いてみることにした。
一本だけ咲いている花だとか、だんだんと近づいてくる電車だとか。
多摩川沿いにはちらほらと人がいて、キャッチボールをしたり、芝生に座って日光を浴びたりしていた。その景色はなぜだかとても尊いものとして私の眼に映り、私はその景色を覚えたままでいよう、と思った。
歩き始めてしばらくすると遠くの方に橋が見えたので、私はその橋を目標にして歩くことにした。日差しは思ったよりも強く、汗がじんわりと滲む。家の近くの道なのに、はじめて歩く川沿いの道。その風景は見知らぬ街のように映る。スケートボードに乗った少年が私の横をゆっくりと通り過ぎたけれど、その顔には見覚えがなかったし、今ではもうその少年がどんな顔をしていたのか思い出すことすら出来ない。
橋のたもとに着く。橋を渡った先にあったのは、何度も通ったことのある道だった。「なんだ、この道につづいていたのか。」と軽く拍子抜けしてしまう。そこから、なるべく細い道を選びながら、家の方向へ戻っていく。途中の自動販売機で、レモン入りの炭酸水を買った。強い日差しと熱を持つ自販機では冷たいレモンと炭酸のやつを買うって、カネコアヤノちゃんも歌っているから。私は影響されやすい。
しばらく家に引きこもっていたので、久しぶりに見た街の姿に私はいちいち感動してしまった。一本だけ咲いている花だとか、だんだんと近づいてくる電車だとか。スマートフォンのアルバムには連写した電車の写真が残っていた。いま見返してみると「だから何なのだ。」と思うような三枚組の写真である。
川窪 亜都(かわくぼ あど)
2000年生まれ。
都内の大学に通っている。散歩好き。